評論タイトル
平凡であることへの挑戦
“ファーゴ”


今村雅樹




 この映画を楽しめるかどうかのポイントは、創り手の登場人物への愛情と、それから導き出される強いメッセージを感じとれるかどうかにある。

 まず登場人物への愛情はつまりぼくらがそう思うかどうか、だけどそう思うことは全然難しいことじゃなくて。

 警察署長やその旦那はもちろん、自分の奥さんの偽装誘拐を依頼する男も、それを請け負う二人組も、金を支払う義理の父親もそう、愛情たっぷりに、チャーミングに描かれている。

 とくに実行犯のふたり、かれらは物語のなかでは、ひとをさらい、殺し、互いを裏切る。行為そのものに余り救いは見い出せない。

 彼等の精神のバックボーンは語られることなく、心象風景なども描かれず、ただ淡々とことを運ぶ。しかも行き当たりばったりの情けなさを以て。

 そんな最低のやつらなのにでもなぜかそこにある種人間的な魅力をみてしまうのだ。

 かれらのすがたはぼくのこころの影の部分を強烈に刺激する。それは暴力への欲求や非日常への憧れを増幅させる。しかしこれはこの物語のながれのあくまでも支流である。

 映画を見終わってぼくはそう確信した。

 では本流とはなにか、ぼくは署長と彼女の生活こそがそれであると。

 普通のなんでもない生活のなかからささやかな幸福をつみかさねていくことがどれだけ貴重で得難いものかを、最後には強く感じる。

 物語のなかで描かれる犯罪が悲惨で情けなく、それに絡む「しょうもない」人々が右往左往することで、その思いはいっそう強くなる。

 「しょうもないひと」にはなりたくないけれど「しょうもないこと」を見逃さないように。

 それにはきっと普通であることにポジティブでなくてはねと思うんだけど、どうだろう。

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